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――これまでの3本の作品を振り返ってみると、兄弟の物語である「少年、機関車に乗る」では母親が不在で、長男が母親のイヤリングをお守りがわりにしています。「コシュ・バ・コシュ」も、ヒロインの家庭に関していえば母親が登場しません。新作の主人公一家も母親が不在で、 ヒロインがこれから母親になっていく物語であるというように、母親の存在が逆の意味で印象に残るのですが、母親というものに対して特別な意識はありますか。
BK 私たちは子宮の外に出て、結局、母親から離れ、巣立っていくという現実があります。しかし、母親のしずくというか、母親の傍にいたときのその感覚というものを、それぞれの作品のなかで何とか伝えたいといつも思うんです。だから、母親というものがある需要に基づくひとつの対象になってしまわないように、あえてそれを排除する。 排除するとはどういうことかというと、人は母親の不在によって抑圧され、自分に欠けているものを探そうとする、そういう緊張感のようなものを生みだすということです。これは私の話法というか、ドラマツルギーなんです。そんなふうにして、あなたが的確におっしゃったように、母親の存在、目に見えない存在というものを伝えたいと思ってきたわけです。
――あなたの個人的な体験がそうした表現に影響を及ぼしているということはありますか。
BK 私の母親と私の関係はごく普通で、個人的な体験を持ち込むというよりは、むしろ哲学的なものだと思います。唯一、個人的な要素があるとすれば、いつか母親を失う、それは大きな事件であり、私たちは心の準備をしていかなければならない、そうした一種の不安ですね。そういう要素は作品に持ち込んでいます。でもこれは、 私と母親の個人的な関係を持ち込んでいるということではありません。
――あなたの映画では必ず乗り物が出てきます。たとえば機関車を運転手が自分の家で止めたりとか、ロープウェイを私物化して自由に使うことには、浮遊感というか解放感があります。新作の飛行機のパイロットも、勝手に飛行機を着陸させて、情事にふけるとか、同じ私物化のイメージがあることはありますが、 この映画では、乗り物がもっと別な効果を発揮しているように思えるのですが。
BK 新作で非常に重要な乗り物は飛行機ですが、実は私は飛行機に乗るのがとても怖いんです。でも同時にとても好きなんです。あんな大きな物が空を飛ぶという事実にすごく惹かれるわけです。それでも怖いので、空中の撮影については私は直接参加せず、地上からモニターで見てました。 私は、私が傍にいる必要があるならすべて地上で撮ろうと言いました。だから飛んでいるように見えて、実際には飛ばずに撮影した場面もあります。飛行機の周りに雲を作って、大勢のスタッフが両翼に乗って機体を揺らしたんです。
あと、パイロットについては凄い話がいろいろあります。向こうのパイロットはみんな飲むのが好きで、特にウォッカをよく飲みます。で、ひどい二日酔いでも飛ばなければなりません。そんな時、彼らは翼にしっかりつかまって、少し飛んでもらう。それで着陸すると二日酔いはすっかりなくなっているというわけです。 信じられないかもしれないけど、本当です。彼らはほんとにクレイジーです。飛びながら狩りもします。空から鹿などを見つけると、低空飛行をして、車輪を出して、それで倒してしまうんです。今回の私の映画でも、パイロットたちがクレイジーなパワーを発揮しているのです。 ===> 2ページへ続く
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